激動の2023年
2023年も後半を迎えましたが、世界情勢はもちろん、フラン国内に限っても、この春の時点ですでに、近現代史に残るであろう出来事が起きています。
報道でご存じの方も多いと思いますが、62歳の定年が64歳に延長されることの是非をめぐって、大規模な抗議活動が繰り広げられたからです。
世界中の他の地域から見れば、定年の2年延長がなぜこれほどの大問題なのかと思われるでしょうし、個人的には私自身も「何もそこまでしなくても…」と感じている一人です。
それでも多くの人が抗議するのは、フランス人の定年後の生活に対する考え方が、たとえば日本人とは根本的に異なるからだと思います。
私はフランス人との国際結婚でフランスに住むようになりましたが、旅行で何度も訪れていた時の印象と、実際に住むようになってからわかったことには、やはりかなりの隔たりがあります。
今回は、ある知り合い男性の「やってしまった!」エピソードを通して、フランスならではの「あるある」をご紹介し、定年の延長に対する抗議の理由に関して感じることをお伝えします。
ある日本人男性の失敗
この男性は当時30代後半の日本人です。
彼はその直前までフランスではないフランス語圏に住んでいたため、フランス語は話せるが、フランス社会のことは知らない人でした。
そんな彼がある日、一人で買い物に行ったそうです。
場所は、地方都市にある小さなスーパーでした。
スーパーの店内で必要なものを買い物カートに入れていた彼ですが、あるお目当てのものが見つかりません。
それほど混んでいない店内だったので、近くにいたレジ係の女性に「○○はどこにありますか?」と聞いたそうです。
すると50代後半かと思われるレジ係の女性は、「○○なら、そこの “jeune fille”(直訳すると若い娘)に聞いてくださいね」と言ったそうです。
男性は、レジ係の女性の視線の先を見渡しましたが、店内にいるのは、先ほどのレジ係の女性と同年代の、つまり、おばちゃん店員ばかり。
若い女性は見当たりません。
するとレジ係の女性は、「あら、イヤだ、そこの “jeune fille” ですよ! ギャハハハハ!」に続き、「うちの店には “jeune fille” しかいないんですから!」と言うではありませんか!
男性はしきりに謝り、周囲のフランス人全員が笑っていたそうです。
年齢に対する認識の違い
男性は「本当に申し訳ないんだけど、オレはその時、どこに若い女性がいるのかと思って、キョロキョロしちゃったんだよね!」と言っていました。
彼はフランス語はわかっても、フランス人社会を知らなかったのです。
実はこのお話し、つまり中高年女性が同年代の友人や同僚などを “jeune fille” と呼ぶのは、「フランスあるある」なのです。
もちろん冗談ですが、大前提としてフランス人は男女とも、「自分も年をとったな」と認めるのが、日本人よりかなり遅いのです。
というのも、先日見ていたフランスのテレビのクイズ番組で、「フランス人が自分の老いを意識するのは何歳でしょう?」という出題がありました。
回答は3択方式、回答者は30代半ばのフランス人男性でした。
選択肢は、①60歳 ②70歳 ③80歳。
回答者は①の60歳と回答していましたが、私の予想通り、不正解でした。
正解は③の80歳で、普段私が周囲の人たちを見て実感している通りです。
ところで、そもそも「日本人が自分の老いを意識するのは何歳でしょう?」と出題されたら、60歳・70歳・80歳の3択ということ自体があり得ないと思うのです。
40歳・50歳・60歳の3択になるのではないでしょうか?
そして人によっては、40歳と回答する人がいるのではないかと想像します。
それに対して、多くのフランス人は自ら老け込んでしまうことが少なく、健康不安があまりないうちは、年齢を重ねても活動的であろうとしますし、男女とも、その人に見合った身なりに気を遣います。
本当に対照的ですよね?
「若き定年退職者」とは?
これが大半のフランス人なので、定年を迎えるということは「仕事からの解放」そのものであって、「仕事というやりがいをなくした喪失感」などは微塵もないというのが普通です。
このあたりも、日本人とは正反対ですよね?
もちろん例外に当たる人たちもいますが、「退職後にやりがいをなくして引きこもりになった」という例は、日本に比べると圧倒的に少ないと思います。
それを象徴するかのように、フランス語には “jeune retraité(e)” という言葉があり、直訳すると「若い定年退職者」です。
(e)とあるのは、女性の場合には「e」が足されるからで、形式的な違いです。
この言葉の意味は「定年退職したばかりの人」で、一般的に定年から数年以内の人たちを指します。
この言葉は、自己紹介をする時などに、自分の立場を表すために使われますし、他の人から言われることもあります。
たとえば「jeune retraité の彼は、積極的に奉仕活動に参加してくれる」というような場合です。
人生を楽しむことに積極的なフランス人にとっては、仕事から解放された上に健康不安も少ない、この “jeune retraité(e)” の何年間かをしっかり楽しみたいという気持ちが強く、抗議活動をするのは、「その貴重な2年間を奪うとはけしからん!」ということなのです。
そしてこの「人生を楽しむ」というのは、旅行に行ったり、趣味などの好きなことをするという意味ももちろんありますが、仕事に縛られていた当時はしたくてもできなかったボランティア活動に精を出したりすることも含まれます。
友人たちの中には現役時代の知識やスキルを活かして、むしろ仕事をしていた時より積極的なのではないかと思われるほど、いきいきと活動している人が何人かいます。
抗議と暴動は異なる
この抗議活動には、私の友人たちにも「行ってきた」「今回は行けなかったけど、次回は必ず参加する」という人が多いです。
「デモの国」とやゆされることも多いフランスですが、やはり市民レベルでも、この抗議は支持されていると感じます。
ただし、報道されているような、破壊行為などの暴動には反対する人が圧倒的です。
当然のことですよね?
平和的に抗議活動をしている人たちは、「抗議はするけど、破壊は許せない」「彼らのせいで本来の活動になっていない」と怒る人たちが多いです。
メディアの報道されるような動画には、派手な活動や破壊行為が切り取られてしまう傾向があります。
確かに現実ではありますが、外からは見えにくいフランス社会の姿があるというのもまた、現実なのです。
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